たまに考え事

2009年2月23日 (月)

壁と卵

先日の村上春樹エルサレム賞受賞ニュース。

村上さんの小説は数冊読んでいる程度で、
ファンと言えるほどではないですし、
ウチにはテレビがなく、新聞も読まないので、
この方がイスラエルでどういうスピーチをしたか、
なんてまったく知らなかったのですが、
ひょんなことから、学生時代の友人(熱烈な村上ファン)に教えてもらいました。
今後、自分と違う立場の人、違う意見の人と話す度に、
この素晴らしいスピーチを思い出すだろうな、
ああ、私、しっかり生きなきゃ、と思いました。

それから今日、以前お世話になっていた職場の方から、
安産祈願とお手紙をいただきました。
「赤ちゃんがいっぱいで嬉しいですね。いい世の中にしなくては・・・ね!」
で結ばれたお手紙。
そうだ。いい世の中にしなくては。
私にできることって、何かしら。私にできること。できること・・・。
と、今日の午後は珍しく内省的に。
そんな時にふと、またこのスピーチを思い出し、
楽しいこと、素敵なこと、心躍ることについて考えること、
それを色んな人たちと共有すること、輪を広げていくことが、
私にできること、かな?と思ったのです。
そのためには、日々精進なのです。
精進することでまた、見えてくるものがあると思うのです。
うん。しっかり生きよう、私。


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村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ(友人の日記より転載)


こんばんは。
わたしは今日、小説家として、
つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 

もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。
よく知られているように政治家も嘘をつきます。
車のセールスマン、肉屋、大工のように、
外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。
しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。
小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。
それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、
一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。
なぜ、そうなのでしょうか?

それに対する私の答えはこうです。
すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、
作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、
新たな光でそれを照らすことができるのです。
多くの場合、真実の本来の姿を把握し、
正確に表現することは事実上不可能です。
だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、
架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。
しかしながら、これを成功させるには、
私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。
このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。
できる限り正直になります。
嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、
今日がちょうどその日に当たったようです。

真実をお話しします。
日本で、かなりの数の人たちから、
エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。
出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。
これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。
国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、
彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。
このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。
私はもちろん、このような印象を与えたくありません。
私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。
もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。
この判断の理由の一つは、
実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。
おそらく、他の多くの小説家と同じように、
私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。
「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、
特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。
これは小説家としての私の「気質」かもしれません。
小説家は特別な集団なのです。
私たちは自分自身の目で見たことや、
自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

というわけで、私はここにやって参りました。
遠く離れているより、ここに来ることを選びました。
自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。
皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。

ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。
それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。
紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、
私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、
私は常に卵側に立つ」ということです。

そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、
私は卵サイドに立ちます。
他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。
おそらく時や歴史というものが。
しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、
その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

この暗喩が何を意味するのでしょうか?
いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。
爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。
これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。
これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。
こう考えてください。
私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。
私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った
個性的でかけがえのない心を持っているのです。
わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。
そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。
その壁の名前は「システム」です。
「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、
時に自己増殖し、私たちを殺し、
さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

私が小説を書く目的はただ一つです。
個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。
小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、
傷つけられることを防ぐために、
「システム」に対する警戒警報を鳴らし、
注意を向けさせることです。
私は、生死を扱った物語、愛の物語、
人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、
個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。
というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

私の父は昨年、90歳で亡くなりました。
父は元教師で、時折、僧侶をしていました。
京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。
戦後に生まれた私は、
父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。
ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。
父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。
父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、
「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。
父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、
父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 
父は亡くなりました。
父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。
しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。
以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。
私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。
「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。
どこからみても、勝ち目はみえてきません。
壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。
もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、
私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、
さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを
強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 
このことを考えてみてください。
私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。
「システム」はそういったものではありません。
「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。
「システム」に自己増殖を許してはなりません。
「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。

 
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。
私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。
イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。
私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。
私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。
今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。
ありがとうございました

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